ペットを飼う愛情、飼わない愛情。

こんにちは。ケンの家のボランティアスタッフのナガです。

犬、猫、鳥、爬虫類などなど・・・。
動物が好きでペットを飼っている方は多いと思います。
私自身も幼いころから動物が大好きで、たくさん飼っていました。

ケンの家のクラウドファンディングに関わらせていただいた時も
動物が好きで飼っている、という方からのご支援、ご自身の経験も踏まえた温かいメッセージをいただき
とてもありがたく、心が温かくなりました。

そして同時に
「動物が大好きだけど、自身の状況を考えると飼うことは難しいと思い断念しましたが、
少しでも力になれれば・・・」

というメッセージ多くいただきました。

大好きだからこそ悩みに悩む、大切な決断。
だからこそ、「飼わない」という決断の中にある愛情もとても大きいんだな、と実感しました。

命と向き合い、暮らしていく大切な決断。

一つの命を家族として迎え入れること。
それは簡単なことではありません。
SNSなどで見るペットとの楽しそうな生活。そこだけを切り取ってみると
なんて楽しそうなんだ!こんなふうに過ごせたらきっと毎日がハッピーになりそう!
って感じますよね。

でもそのキラキラしたお写真には見えないところに

・環境整備
・食事管理
・定期的な医療ケア
・家族の理解
・金銭的負担
・時間の束縛
・しつけ

などなど
たくさんの苦労があるのです。

現状、日本はお金さえ出せばほぼ、誰でもペットを飼うことができます。
でも同時に可愛いから!綺麗だから!
それだけで衝動的に飼われた動物たちが
結局飼いきれなかった、と捨てられてしまうことが後を断ちません。

ケンの家にいる子はそういう子たちです。
そして、そんなふうに安易に買えてしまう子犬を産むためだけに過酷な環境で過ごし、
ボロボロになってから保護された子たちです。

動物が大好きな人みんなでできること

ペットを飼う愛情、どんなことがあっても寄り添い、
病める時も健やかなる時も一緒に生きていくこと。
それは本当に素晴らしいことです。

でも、大好きだからこそ安易な選択をしないこと。
飼わない、という選択をするということも素晴らしい愛情だと思います。

動物を飼っていなくても動物のためにできることはたくさんあります。
今のペット産業をめぐる状況を正しく知ること、そしてそれを考えること、伝えること。
小さくても変えていけることはあるはずです。

クリスマス商戦の「目玉」になっている
ショーウィンドウの中の可愛い可愛い子犬たち。
それをキラキラした目で見ている子供たち。
「欲しいよ〜」とおねだりします。

彼らに罪はないです。教えるべきは大人。学ぶべきも大人です。

次の世代を担う子供達のために正しい情報を伝えていくこと

それはペットを飼っているからこそ、
ペットを飼わないという決断をしたからこそ

できる大切なことだと思います。

もう少し時間はかかるかもしれないけれど
今のペット産業の犠牲となっている動物たちの状況が
変わっていくために
できることを考え実行していきたいと思います!

ペットを飼う愛情、飼わない愛情。” に対して2件のコメントがあります。

  1. 酒井美智子 より:

    すばらしい意見に感動しました。私も三匹犬がいました。ゴールデン2匹にダックス一匹。とても賑やかでした。とても育てるのは大変だし介護も大変でした。若いときも長女は、避妊手術にて、卵巣を一部残して子宮も少しあったため出血しました。病気になったとすごく不安でしたが、発情している。と医療センターにて言われました。近所の獣医さんは、ミスを認めませんでした。大量の出血や貧血大変でした。最後は事故どなくなりました。しかし残された二匹は、寄り添うように生きていました。真ん中の子は、ショックにて甲状腺の病気になりながらも末娘に支えられて14歳まで元気に暮らしました。しかし14歳の夏に口腔がんになり半年もの介護や彼女自身辛い生活を送りました。よだれだらけになり骨と皮になりながらも最後まで力強く生きてくれました。これこそ野生の本能のようにしかし末娘は、わからないからおわかれしようとしてもプィしたりしていました。しかし送るための支度に気づいた末娘はとても悲しい顔になりどこへつれてゆくの!といわんばりでした。火葬場から帰ると布団にうずくまりいじけていたようなとても健気な姿にむねが痛くなりました。寄り添いねんねしても悔しい。という顔していました。プライドが高く悲しみを表現できない。しかし夜になると鳴いていました。それから少しづつ元気になりましたが、やはり13歳のときに別れでしたから身体も一気に老化しました。14歳にて胆のう炎になり治療したりしてゆく中寝てばかりになり15歳10カッ月まで生きてくれました。亡くなる20日前に急に体調が悪くなり入院費がとても払えなくうちにて介護しましたが、肺炎から腎不全になり点滴も毎日は無理でした。最後は、かなり苦しんで亡くなりました。しかし私に命の大切さや犬をかうことは素晴らしいけど責任がいること全て教えてくれました。お金を払えば犬が買える時代です。しかしその後の長いお世話をできるか考えたら私には、無理だと思えたのですね。すぐにでも迎えたい。この寂し差を紛らわしたい。しかし犬をなでても感情はかわいいだけであり温かい気持ちになりませんでした。そして、お仏壇を見てすごく温かい気持ちになりまた、お世話ができると嬉しくなりました。そして今は供養しています。時々犬がいたらな?なんて思うけど彼女たちに教えられた喜びと苦労が蘇るのですね。私にはたくさん大切な思い出があり今も供養できている。手元供養してなくてもお墓に預かってもらっている。安慰や考えはだめだ。と常に父に言われていました。もう、犬は飼わない。あんなかわいそうな想いしたくない。犬好きの父は、小さいときにそう教えてくれました。今、私には経済力も体力的にも膝を痛めてしまっている。そして、ヤキモチ焼きの3匹の仏様のお世話がある。それで良いのでわないか!始まりもあり終わりもある。どこかで決断するのも犬好きだからこそかわいない。供養という形にて家族の供養のように父の代わりはないと同じだと感じました。

    犬は迎えない。それも犬好きであり犬を育ててきたからこそ言えることでもありました。また、散歩中のわんこに愛されまくりです。知ってるんですね、扱い方が上手い人。仲間を呼んでいたりもしました。寝ていた子が起き上がり私に挨拶してくれてまた、帰る。でも、呼んでいた子はいつまでも甘えていました。帰ると悲しい顔したりしている姿に可愛い!と感じながらもこうして、犬は今いなくても飼い主さんたちとふれあい話が合うんだな!と感じています。どなたも大切にしている方ばかりにお会いできるのも彼女たちのおかげですね。幸せな飼い主さんとの生活がたくさんのワンちゃん猫ちゃんに溢れてくれることや生んでくれたママに感謝しないとならなくブリーディングの規制やペットショップの利益を命でわない方針に変えてゆく時代になりましたね。そして、適切な飼育方針を身に着けた方に販売者として利益だけでわなく長い一生に責任がもてる方に譲り与えるような環境になって欲しいです。結果ペットショップにて生体物を販売する規制をアメリカやドイツまた、フランスが行う制度も日本も作らなくて和なりませんり犬やねこの命となるとどうしても軽く見られてしまいがちですが、知恵が人間より低いだけであり生き物は同じように自然の恵であり平等な権利があると思います。かわいいだけでは、飼えない。それを教えられました。また、変わりが無いことも人の同じように家族でありいろいろな形にての供養も大切であることも最期まできちんと愛情込めてお世話して家族の一員としてきちんと供養できる道徳心を次の世代に引き継がせたいですね。いのちは皆平等であり尊くかけがえのない一人ひとり大切な命であることをね。

    1. kens-house-km より:

      ありがとうございます。
      今後ともケンの家の活動を見守っていただければ幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です