小説『168時間の奇跡』を読みました。
ボランティアスタッフのカズと申します。
ケンの家でのボランティアに参加して8か月が経過しました。
昨年夏頃からちょくちょくシェルターに足を運ばせてもらってはいました。
お手伝いを始めたのはこの春から。
わんこたちのおかげで、幸せな時間を過ごせています。
こんなにも幸せって身近に転がっていたんだ!と気づきます。
何よりわんこが好きなのだと、あらためて感じます。
お散歩中、葉の色や風のにおいで季節の移り変わりを感じます。
ながらスマホなんてもったいない!
ささやかだけど、永遠に続くような幸せな時間が流れています。
これまでの日々で感じたことを綴りたいと思います。
市場・マーケットは誰が作る?
売れるものはたくさん作る。「商品」であれば当然です。
売る側には、経費と言われるお金がかかります。
たとえば、工場を建てるお金や働く人に支払うお給料など。
それらを差し引いて最終的に残ったお金が利益と呼ばれる「儲け」です。
たくさん商品を売り、経費を少なくできれば儲けは大きくなります。
それでは、売れ残ったものはどうするか?
安売りする、廃棄するなど、いくつかの方法があります。
スーパーのお惣菜コーナーが夕方になると値引き販売しますよね。
捨ててしまうよりは安売りしたほうがまだお金になるわけです。
ただ最近では廃棄にもお金がかかるようになりました。
なによりも、限りある資源を食品ロスのようなムダにしないことが大切です。
「商品」を「わんこ」に置き換えてみる?
ペットショップに並べられているのは、まぎれもなく「商品」としてのわんこです。
売る側は儲けを出すため、たくさん作ります。
「シベリアンハスキーは売れそうだ!」
「チワワは日本の住居環境には合うはず」
買う人の需要を予測し、それを満たすべく作ります。
たくさん儲けを出したければ、産み育てていく間にあまりお金をかけたくはないはずです。
それでは、売れ残ったものはどうするか?
先ほどと同じ質問です。
…いろんな矛盾に気が付きます。
そもそも「商品」=「わんこ」って、どうなんだろう?
ペットショップに並んだウィンドウケースの向こう側を私たちはほとんど知りません。
この矛盾に触れた小説を読みました。
丁寧な取材をもとに執筆されています。
お時間があればぜひ。