フクが生きた記録(5)

5章 手術の日

いよいよ手術のときがやってきた。

「頑張ってね、明日、迎えに来るからね」

私が手術室に連れて行かれるとママさんは帰って行った。その後のことは麻酔で余り覚えていない。記憶が戻ったのは翌日だった。まだ、少しぼーっとはしていたが無事終えたのだと分かった。待合室の方からママさんの声が聞こえてきた。たった一日、別れていただけなのにすごく懐かしくうれしくてケージの中で傷口の引きつりも忘れて立ち上がってしまった。

「フクちゃん、その元気があれば大丈夫だ」

先生も嬉しそうに私をママさんの所まで連れて行ってくれた。

「良かった、良かった」

ママさんは私を強く抱いてうれし涙を流してくれている。犬にとって飼い主さんは本当に大切な存在で一日でも離れていることが寂しいのだと言うことを改めて知った。

その晩から足をなめないようにとレッグウオーマーを右足に履くことになった。

慣れないせいか、うっとうしかったけど、エリザベスよりはましなので我慢することにした。

翌朝は普段通り散歩にも出かけた。

「あら、フクちゃん、足に可愛いものはいているのね」

犬仲間さんが珍しそうに足を見て言う。

「可愛いでしょ、ママさんのアイデアですよ」

言葉が話せたら自慢したかった。

獣医さんへ月一回通うこと以外は普段通りの生活が半年ほど続き、お互いに安心していた矢先のことだった。私の足に再発が見つかってしまったのだ。このときのママさんの悲しそうな顔には申し訳なく感じた。その日の夕方、ママさんの仕事が終えると獣医さんへ急いだ。

「そのときが来てしまいましたね」

「想像以上に早く来てしまった気がします」

ママさんはきつい言い方で先生に言葉を返した。

「あっ、それは最初の時に申し上げましたでしょ、フクちゃんの場合は半年が限界だったんですね、今後は抗がん剤で治療はしますがこれからの生活についてお話ししましょう」

先生は私の寿命におおよその見当が付いているようだ。ママさんは覚悟を決めないと、と大きな深呼吸をして自分を落ち着かせているようだ。

「はい、先生、お願い致します、どのような生活を送れば良いんですか?」

「特別なことはありません、フクちゃんとの時間を大いに楽しむことです、そして沢山思い出を作ってあげてください」

この話を聞いたママさんは帰宅すると、早速、仕事の調整をして旅行の計画を立てていた。

「フクが歩けるうちに旅行してみようか、初めてだね」

 嬉しそうだ。

 旅行当日が来た。新幹線で伊豆の方に行った。ホテルは犬仕様でとても感じの良いところだった。ドッグランもあってその中でこんなスピードで犬らしく走ったことがなかったと自分でも不思議なほど全速力で走り回ることが出来た。

「フクにもそんな元気に走る力があったのね、知らなかった」

ママさんの顔は久しぶりに嬉しそうだ。海辺も散歩した。

波が私に近づいては遠ざかって行く、これが不思議で面白く、まるで生き物を相手に遊んでいるようでホテルに戻るのが遅くなってしまった。

「小林さん、フクちゃん、お夕飯の準備が出来ていますよ、フクちゃんは波が楽しかったのかな?」

私のことをお見通しだ。

「そうなんですよ、普段、東京に住んでいるとこんなに自由に飛びまわれないので嬉しそうでついつい長く居すぎました。今すぐレストランへ行きます」

「いえいえ、どのワンちゃんも初めての時は嬉しくて時間を忘れてしまうんですよ、ちっとも構わないんですよ、そんなつもりで言ったわけではないので誤解させてしまったのならごめんなさいね」

ホテルマンはにこにこしながら私の頭をなでてカウンターの中へ入って行った。

レストランへ行くと他の犬たちもたくさんいてどの犬たちも美味しそうに食事をしていた。

「はい、これがフクちゃんのお食事です」

運ばれてきた食事を見てびっくりした。これが犬の食事? 人間様が食べる高級レストランのようだった。犬生、こんな食事を経験させてもらったことは最高に幸せです。

味もよし、盛り付けもよし、スタッフさんも親切、そして海や広いドッグラン、言うことなしの旅行だった。

「また、必ず来ますね」

ママさんはホテルマンたちに固く約束をしていた。きっと、ここで言葉に出しておけば叶えられると思っているように見える。有言実行を願ってあえて言ったのだろう。

私も当然同じですから。

       

終章 闘病生活

帰宅してからの私の生活は少しずつ変わって行った。足が重くて思うように歩けなくなる、仕方なく散歩はバギーがほとんどになって行った。

「あら、フクちゃん、今日もバギーなの? 犬は歩くのが当たり前よ」

犬仲間さんは私の見た目が変わらないので私がママさんに甘えていると思っているようだ。

「フクは甘えているわけじゃないのよ、足に負担を掛けないように私がバギーに乗せているの」

ママさんはそういうことを言われるのが嫌いなのだ。勿論私も嫌いだ。大きなお世話です。

「フク、気にしないで散歩しようね」

いつもママさんはそう言って私を守ってくれた。楽しい旅行から三ヶ月が過ぎた頃、抗がん剤の副作用で食事が食べられなくなってしまった。

犬は食事が出来なくなるとそう長くはありません、覚悟だけはしておいてくださいと獣医師にママさんは言われてしまった。

ママさんは私を抱きしめて泣くのをこらえている毎日だ。

「私が信じないでだれが信じるの?」

独り言が聞こえてきた。

「ありがとう、ママさん」

私はその言葉だけで元気が出るよ、ママさんを裏切りませんから安心してください、とママの顔を思いっきりなめる。

涙と笑顔でママさんの顔はくしゃくしゃだ。その日から食事が全く取れない私を心配して仕事中でもママさんの膝の上で過ごし、夜は顔を近づけて寝て過ごした。段々と苦しい日々になって行った。

「フク、苦しいの?」

ママさんは心配でこの三日間眠ることが出来ていない。そんなママさんと私を心配してなのか夢枕にチッポさんとノラさんが現れて

「フクちゃん、そんなに苦しかったらもう頑張らなくてもいいよ、あなたもママさんも辛すぎるよ」と言うとスーと消えて行った。

彼らの言葉に私はママさんにこれ以上辛い看病をさせるのはかわいそうすぎると感じた。

そう感じた途端、体がスーと軽くなって「ワ~ン、」と一声あげて虹の橋へと向かっている自分がいた。

「フク、フク」

ママさんが私の死を感じて必死に呼んでくれる。

でも振り返ることはしなかった。

「フク、ありがとね、短かったけど幸せだったよ、チッポとノラの元でゆっくり私を待っていてね」

ママさんの声が聞こえてくる。もし振り返ったら私は戻りたくなってしまう。でも、現実は戻れないのだから。

「虹の橋の袂で三匹はズーと待っていますよ」

虹の橋の袂でチッポさんとノラさんと出会えて初めて地上のママさんを振り返った。

どうぞ、いつまでも元気でいてください、そして私のような犬をまた救ってあげて下さい。

ありがとう。

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